2019年7月 6日 (土)

四稜郭と権現台場

北海道 函館市 「四稜郭」「権現台場」

 明治元年(1868年)戊辰戦争末期の箱館戦争で五稜郭を占拠した旧幕府軍が五稜郭への攻撃を防ぐために数日間で作ったとされる ほぼ堡塁のみで他の設備がなく半年後の新政府軍との戦いでは数時間で陥落しその後放置された 権現台場は四稜郭と五稜郭の間に設けたさらに攻守を補うための台場であったが四稜郭同様の結末となった
 各画像はクリックで拡大表示されます
北海道城巡りの旅十番目十一番目は四稜郭と権現台場
冒頭のコメント通り短い存在期間でした
Cimg8702
外部から虎口
Cimg8701
虎口
Cimg8703
内部から見た虎口
Cimg8706
土塁の上から見ると堀の状態もよく見えます
Cimg8708
隅から全体を眺める
Cimg8714
外側から見る土塁
Cimg8717
周りは公園になっていて住民の方の憩いの場所になっています

1km離れたところに権現台場があります
Cimg8800
案内板や現状の神社の周りには土塁が確認できます
Cimg8804
この鳥居は五稜郭を造った石工の作で現存だと案内板にありました
Cimg8802


| | コメント (0)

2019年7月 5日 (金)

戸切地陣屋

北海道 北斗市 「戸切地陣屋」

 戸切地陣屋は日米和親条約で函館が開港されるにあたり松前藩によって築城された洋式堡塁 幕府が倒れたあと蝦夷に渡った旧幕府軍に攻撃され陣屋守備隊自ら火をかけ敗走した 現在は曲輪・土塁・堀跡が残る
 各画像はクリックで拡大表示されます
北海道城巡りの旅九番目は戸切地陣屋で四稜の洋式堡塁 です

ナビに従っていくと林道経由でしたので先に火薬庫を見ました
火薬庫なのに小さな黄色い花がきれい ラピュタっぽい(笑) 
Cimg8662
100mも進まずに裏御門につきました
Cimg8669
門から郭内に入ると門の正面に馬隠しと呼ばれる蔀(しとみ)土塁が大きくそびえ近くに建物跡もありました
Cimg8674
かなり多くの建物が確認されているようです
Cimg8677
草刈りしたばかりのようで美しい緑でした 案内板も立派!
Cimg8684
表御門側も同じく馬隠しがあります
Cimg8678
表御門正面 両方の門は整備事業で復元されました
Cimg8683
門脇の空堀
Cimg8681
表御門に続く大手道 今は桜が植わっています
Cimg8682
外周を回ると稜堡の形がよくわかります
Cimg8686
カメの頭のように一か所だけ飛び出ているところが砲台があったところです
Cimg8688

表御門側に広い駐車場とトイレがあったのですがナビに次の目的地を入れると林道を戻ると出るのですが
明らかに幹線道路とは逆方向なので構わず進むと間もなく幹線道路に出ました
どうやら公園墓地の施設とつながっているので公にはナビが表示しないのだろう
という私なりの結論

| | コメント (0)

2019年7月 3日 (水)

南部陣屋と函館山

北海道 函館市 元町 「南部陣屋」

 寛政11年(1799年) 蝦夷地警備のため幕府の命により南部藩が築いた陣屋 当初は幕府直轄であった 開廃があったが最期は明治元年(1868年)に撤退となった
 各画像はクリックで拡大表示されます
北海道城巡りの旅七つ目は南部陣屋 現在は函館山ロープウェイの駐車場に石垣が残るのみです
Cimg8616

Cimg8617
案内板と標識
Cimg8618

Cimg8620
これもそうかな⁉

Cimg8621

せっかくなのでロープウェイで箱根山登ることに
Dsc_4803
やはりトワイライト時を狙う観光客であふれかえっておりました
Cimg8622
8割がた外国人でしょうか
Dsc_4805
なんとか写真撮れました💦
Dsc_4808
調べたら函館は15年ぶりでした💧


| | コメント (0)

2019年7月 2日 (火)

上ノ国町 花沢館 洲崎館

北海道 上ノ国町 「花沢館」 「洲崎館」

 花沢館は蠣崎季繁が館主 長禄元年(1457年)のコシャマインの戦いで道南十二館のうち茂別館とともに陥落しなかった2つのうちの一つ  戦いを鎮圧した武田信広が蠣崎氏の娘と結婚して住んだ館が洲崎館 後に勝山館に移り住む 江戸末期さらに松前に移ることで廃館になった 現在は土塁や堀跡が残るのみ
 各画像はクリックで拡大表示されます
北海道城巡りの旅五番目六番目は勝山館ができる前の上ノ国の居館
国道沿いに上と下に標識がありますが目立たないので注意です
ちょっと見えているのが仮設トイレと思います
ちゃんとした駐車場ではありませんが右手に5、6台は停められます
Cimg8585
案内板は最初の曲輪にありました
Cimg8588
現在発掘中のようで駐車場に何台かあった車は作業の方の車だったようです
Cimg8594
ご挨拶すると快く対応してくれました
試し掘りの段階のようですが古銭などが見つかっているとのことでした
Cimg8593
邪魔になっては申し訳ないので早々に引き上げました
Cimg8595
江差方向へ少し進んだところに洲崎館があります
現在は砂館神社になっています
Cimg8598
綺麗に整備されています
Cimg8600
拝殿の後ろの本殿は道指定文化財
Cimg8602
その裏側が堀と思われます
Cimg8603
表の参道の後ろ側は土塁が続いていました
Cimg8608
この辺りは 
磯 舟 渓流 と釣りで有名らしい
風力発電のプロペラも多く回っている地域です

| | コメント (0)

2019年6月30日 (日)

比石館

北海道 上ノ国町 石崎 「比石館」

 比石(ひいし)館は嘉吉元年(1441年)下北の田名部から渡道した畠山重忠の一族で厚谷右近将監重政が築き長禄元年(1457年)のコシャマインの戦いで落ちたとされる 発掘調査ではコシャマインの戦い当時に比石館は存在せず勝山館の繁栄期に並存していたとされた 館神社と呼ばれる社は比石館の鎮護神を祀っている
 各画像はクリックで拡大表示されます
北海道城巡りの旅三つ目は松前城から勝山館へ向かう途中にある比石館跡
入口の標識(右の白い杭)が朽ちて知る人のみが訪れる感じとなっています
Cimg8504
T字路になるところまで車を入れると何となく駐車スペースがあるので止めてあとは歩きです
Cimg8505
海方向へ進むと説明版があります
Cimg8507
海岸が美しい❗
Cimg8510
反対側は地元の漁港でしょうか
Cimg8511
岬方向 轍が消えたあたりからが主郭と思われます
Cimg8519
振り返るとこの辺りが道が細いので空堀があったところでしょうか
Cimg8518
主郭には神社と碑があります
Cimg8513
社は海風に耐える頑丈なもののようです
周囲は何となく土塁に囲まれている感じです
Cimg8515
風が気持ちよく北海道らしい海と空と緑を満喫です😃

| | コメント (0)

2019年6月28日 (金)

茂別館

北海道 北斗市 矢不来 「茂別館」

 茂別館は嘉吉3年(1443年)津軽十三湊城主安東太郎盛季が南部氏に敗れて蝦夷島に渡り造ったとされる 安東一族が継ぎ館を守護した 長禄元年(1457年)アイヌ民族の首領コシャマインが蜂起し和人の館が相次いで陥落し「茂別館」と「上之国花沢館」の2館だけが残った その後下国(安東)氏は福山(松前)藩に属し茂別の地を治めた
 各画像はクリックで拡大表示されます
北海道城巡りの旅一つ目は 函館空港から松前城へ向かう途中にある道南12館の一つ「茂別館」
Cimg8404
大館小館の二つに分かれていて間に空堀があります 現状は何か建物がありますが左が小館です
Cimg8406
右の大舘は現在「矢不来天満宮」があります
Cimg8382
天神様(菅原道真像)が赤松の上に乗って流れ着き浜辺には赤松の大木が生えたという
Cimg8384
鉄道架設工事でこの大木を伐ろうとしたが難航し伐採した方が亡くなったそうで(詳しくはこちら
こちらの神社で松の霊を鎮めているそうです
Cimg8385
拝殿の裏手にある本殿
Cimg8395
この裏が急でしたが
Cimg8397
降りるためのロープを発見
Cimg8401
堀跡が見られました
Cimg8390  
 車でのアクセスになりますが 裏手の入口で躊躇していたら地元の方になかに駐車場があると教えられました
Cimg8392
土塁を抜けて境内へ 虎口かどうかは不明です
Cimg8391
函館のレンガ造りの建物にも貢献していたようで 廃館後も様々な歴史を重ねている地域の重要な場所でした
Cimg8393

Cimg8403

| | コメント (0)

2019年4月12日 (金)

伏見城と聚楽第

京都府 京都市 伏見区 桃山町古城山
   
「伏見城」(伏見桃山城)

 秀吉が地震で崩壊した指月伏見城に代わって建てた城 関が原以降に家康が藤堂高虎に天下普請で改築させたとされる 現在の模擬天守は遊園地内の施設として建てたが現在京都市の管理となっている 耐震基準により内部へは入ることができない
 各画像はクリックで拡大表示されます
京都府 京都市 右京区   「聚楽第」

 聚楽城は秀吉が平安宮跡に建てた政庁兼邸宅で「聚楽第」と呼ばれる 完成から8年後「秀次事件」により破壊された
多くは「指月伏見城」に移築されたとされる 現在石碑のみある
 
「桃山御陵前駅」で降り「御香宮」へ向かいました
城門を移築したとされる入口の門
2cimg7191

2cimg7193

石垣石が無造作に転がっていました
2cimg7195

立派な神社です😃
2cimg7199

少し歩いて伏見城に向かいます
以前キャッスルランドという遊園地がって模擬天守を立てたらしいのですが
閉園になり京都市に譲ったそうです
2cimg7203
入口の門
Cimg7206

模擬天守はよくできているので撮影などによく使われたそうです
Cimg7207

Cimg7210

現在は桜の名所となっています
Cimg7211

Cimg7215

帰りは最寄りの「近鉄丹波橋駅」から二条城方面へ向かいました
二条城の前に「聚楽第」へ といっても石碑があるだけですが😖
Cimg7222
この左の看板の文言は時々変わるようです
 今回は... なぜ石碑が二つあるのか 
    という設問と回答がありました

もう一つがこれです
Cimg7224

要は東の堀と西の堀の目印

御所と二条城を行き来するための橋の一つ「横川第一橋」
石のアーチ橋は珍しいとのこと
Cimg7219
最近アスファルトをはがし石畳が復活したそうです
Cimg7221

時間があれば移築門を見に行ったのですが今回はパスです

| | コメント (0)

2019年3月17日 (日)

松尾城

千葉県 山武市 松尾町  「松尾城」

 各画像はクリックで拡大表示されます

 松尾城は明治になり築城された五稜郭に代表される稜堡式の城 明治維新により徳川家の移封が駿河・遠江になったこと伴い諸藩が上総・安房へお国替えとなった 旧掛川藩の太田道灌の家系十六代資美(すけよし)によりに築城された 廃藩置県などにより間もなく廃城となった
 
JR総武線松尾駅近くの図書館奥にある松尾藩資料館へ ちょっと話しかけたら学芸員さんが丁寧に説明してくれました 当時の手紙が現代文にされてあり 国もとに要人の接待の依頼や子供の様子を心配する文面など生々しい内容を興味深く拝見しました
最近多くなった歴史の新事実などについて 細かい文書にまで手が回るようになってきたので発見があるとのこと 納得です
時間の関係もあり車で回ることに
まず教習所の中にある石碑「松尾藩公庁跡」ですが教習中は立ち入り不可なので外から
公務の中心地ということですね
Cimg7096

教習所の周りに残る「土塁」(右側が教習コース)
Cimg7100
次に居住区であった松尾中学校へ
職員さんに撮影許可をいただきました 怪しいおじさんなので
城跡の碑「太田城跡」とありますね いろいろ考えて最終的に掛川城内の郭の名称から松尾になったのですが...名前で呼ばれていたのでしょうか
Cimg7103

校舎側からの眺めは抜群ですね 下に町が見えます
昔は九十九里浜まで見渡せたのでしょうね
Cimg7109
ここには古墳があったことが昔から確認されていたようです
学校南側の「胸壁」は45度の急勾配でこの奥にかけて「汐見坂」となります
景色がよく海が見えたので江戸城の汐見坂からとったとのことです
Cimg7118_2

Cimg7113

気になったのががフェンス越しに見える お地蔵様?
Cimg7127_2

汐見坂途中の祠 裏は中学の裏手で断崖絶壁でした
Cimg7122

移築された「御住居(おすまい)表門」は街道から見えるところにあります
Cimg7135

「稜堡式」の城をめぐるチャレンジでアリバイ的に行ったつもりでしたが
太田道灌・掛川城・京極高次などとかかわりがあったり成り立ちなどが興味深くうかがえたので来てよかったと思いました
また 近くにある大堤権現塚古墳は見ごたえがありお勧めです
Cimg7150

Cimg7147

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月15日 (金)

滝の城

埼玉県 所沢市 大字城  「滝の城」

 各画像はクリックで拡大表示されます

 滝の城(たきのじょう)は15世紀後半扇谷上杉氏のもと太田道灌が築城したのではといわれる 北条氏の進出により河越夜戦で滅ぼされ氏康の次男氏照が入った 北条氏の兵の駐留地などつなぎの城として活用されたが秀吉の小田原攻めの際に長政勢により落城となった
 
模型とパンフレットがあるとの情報で「生涯学習推進センター3階」へ伺いました
現地とは6kmほど離れています
Cimg6998

パンフレットはA4両面刷りコピーでした
模型は「滝の城跡保存会」が製作とありよくできていました
Cimg6995

現地の駐車場は関越道脇の狭い道を入るためわかり難くかったです
「滝の城址公園」という公園になっていてスポーツ施設用の駐車場が別にありこちらは入りやすいようですが使っていいものやら?
滝の城の名のもとになった?滝への水路跡
Cimg7012

「搦め手口」となる付近の階段
Cimg7016

すぐに神社入り口があるがこちらへ行くとすぐ「本郭」なので迂回しました
Cimg7020_2

「霧吹きの井戸」と言われる跡
Cimg7018

こちらは「血の出る松」跡
落城の時に松の幹から血のような樹液が出たという言い伝えがあるそうな
現在松はなく石碑のみ ちなみにこの上に「物見櫓」があったとされます
Cimg7021

道を登ると遺構の入口表示と簡単な縄張り図がありました
Cimg7026

のぼりと「二段掘」
Cimg7027

「中堀」跡 奥にある建物は「二の郭」に建つ「神社の管理棟」
Cimg7030
「中堀」は折れがあり「三の郭」の方向へ続いています
Cimg7034
先に「地鎮的儀礼跡」があったとされる「二の郭」
Cimg7035
管理棟前に掲示板がありこちらにも若干違うパンフレットがありました
模型を見なくてもよければセンターに行かなくても大丈夫ですね
今は埋め戻してしまった「障子掘」などの発掘調査の写真がありました
Cimg7040

Cimg7041

「内堀」
Cimg7045

「本郭」にある石碑と「城山神社」
Cimg7047

Cimg7049

社殿裏にある「四脚門跡」
Cimg7054

「本丸虎口」の「馬出し」側からみる「と四脚門跡」へ向かって現状は土橋が続いているように見えますが 堀に木橋だったと言われています
Cimg7060

上の写真の反対側の「馬出し」
Cimg7059

「三の郭」大井戸跡がありました
この下南東側に「東郭」の表示がありましたが詳細不明でした
Cimg7063

三の郭(右側)と中堀を挟んだ土塁(左側)上に櫓跡があります
Cimg7074
整備中なのか近隣への配慮か通行禁止の部分が多々ありました
馬出裏手の土塁 中央石碑は物見櫓跡の表示(この先は通行止め)
Cimg7075
「本郭」からの景色 真下に運動場 高架は武蔵野線
東川と柳瀬川の合流点に築かれこちら南側は 高さ約 25 mの急崖となっています
Cimg7091
興味のある方はこちら(PDF)をご覧ください
「滝の城跡現地説明会」資料(平成29年度)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月25日 (日)

清州城と日本どまんなかお城スタンプラリー

愛知県 清州市 朝日城屋敷  「清州城」

 各画像はクリックで拡大表示されます

 室町時代に築かれ戦国期には城主が入れ替わり信長が入城する 亡き後城郭が整えられるが1610年「清須越し」という名古屋城への移管により廃城となる 城跡は東海道線建設の際に分断され遺構も土塁と石垣だけが一部残るのみ 日本100名城及び続日本100名城には選出されていない
信長を祀った社
Cimg4464

信長と寄り添うように建つ濃姫像(城脇から移設)はパワースポットと言われています
Cimg4495
「清州城」は「清須」とも書きますが時代や使われ方により併用されています
Cimg4469

大手門の両側の壁は桶狭間の戦いの戦勝御礼に熱田神宮に奉納した「信長壁」を模したもの
Cimg4477

個人的感想でしかありませんが模擬天守とはいえクールな信長らしい佇まいです
Cimg4478

信長像
Cimg4483

こういう展示 好きです(笑)
Cimg4485

天守最上階から名古屋城を見ることができました
Cimg4490

護岸工事で発見された石垣の一部を復元展示
Cimg4470

8月に訪れた高島城で偶然目にした「日本どまんなかお城スタンプラリー」の缶バッチプレゼントにつられて(笑) 11月25日の締め切りまでに11城を回ることができました
Dsc_4415

Dsc_4410

Dsc_4412

Dsc_4413

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧